本蔵院について
ご住職のご紹介
・真言宗本蔵院 第十九世住職
(九州八十八ヶ所霊場第五十五番札所・醍醐派熊本宗務所)
・公園墓地菩提樹苑代表 ・ペットのお寺沙羅の苑代表
昭和41年より京都 真言宗総本山教王護国寺(東寺)に入山。東寺にて師三浦俊良のもとで23年間修行し、その間、法会部長として国宝御影堂をあずかる。42歳のとき帰山し、現在真言宗本蔵院の第十九世住職として、上記3ヶ所の代表として宗派を超えた方々とともに宗教者としての活動を続けている。

本蔵院の歴史
熊本は、慶長年間(1596〜1615)加藤清正によって改築された熊本城の城下町であり、その後を継いだ細川家五十四万石として栄えた。
本蔵院の歴史は、阿蘇山から始まる。阿蘇山は九州随一の霊山であり、世界的にも有名な複式火山。根子岳、高岳、中岳、杵島岳、烏帽子岳を阿蘇五岳といい、北側外輪山より眺める5岳はお釈迦様の寝姿に似ていることから「阿蘇の涅槃像」と呼ばれています。また、その外輪山の裾野は九州六県におよぶ。火の国熊本の象徴であり、その雄大な景観は旅行者を圧倒する。本来、阿蘇山は、阿蘇神社の別当所として隆盛した西巌殿寺(さいがんでんじ)“天台宗”に統括された修験の山である。西巌殿寺の開創は、天養元年(1144)比叡山から最栄阿闍梨(さいえいあじゃり)が留
(りゅうしゃく)し、十一面観音を安置したのが始まりと伝えられる。
草千里といえば、阿蘇の代表的な観光ポイントで、烏帽子岳と杵島岳の間に広がる直径約1キロの大草原。放牧された牛と、草原の緑のコントラストが印象的なのどかな風景が見られる。展望台からは、阿蘇五岳をとりまく外輪山の威容や、カルデラを見下ろす風光がすばらしく熊本平野の彼方には有明の海が輝いている。
この草千里には、かつて西巌殿寺の子院三十七坊が並び、修験(しゅげん)の拠点となっていた。その中の成満院(じょうまんいん)を座主別当所(ざすべっとうしょ)と定め、最栄阿闍梨はそこに隠棲(いんせい)して、法華経を読誦(どくじゅ)した。そのことから、さいえいどくし最栄読師と呼ばれたという。
明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と修験道(しゅげんどう)禁止令で、阿蘇修験道は壊滅状態になる。西巌殿寺は山麓と山上に、それぞれ本堂を存続させているが、その他の三十七坊はいずれも廃されてしまった。後に、三十七坊の一院が熊本市迎町に移転し、真言宗に改宗したのが、最栄山満念寺(まんねんじ)本蔵院である。さらに、昭和2年(1927)現在地に移った。
阿蘇との歴史を伝えるため、山号は最栄山とした。「最栄室(さいえいしつ)」の額や、「最栄」と書かれた茶碗などが伝来しており、往時の名残をとどめている。
JR熊本駅から延びる、交通量の多い産業道路に面して本蔵院が建っている。門前には、わずかな疎水があって、その流れに安らぎを感じることができる。山門の中の境内は、それほど多くはないが植え込みが美しい。正面が、入母屋造(いりもやつくり)の本堂である。ゆったりとした大きな唐破風の向拝が印象的。ご本尊は不動明王。その脇に祀られている弘法大師像は、生き人形師の安本亀八作である。
山門を入った左側、若干の石段の上に一切経蔵(いっさいきょうぞう)がある。鉄筋コンクリート造で縦に長い。屋根は宝形造で、その上に相輪が天に向かって延びている。昭和4年(1929)の建立であり、熊本では最初の鉄筋コンクリートの建物として、修理の上保存されている。
【ご詠歌】健磐(たついわ)の立(た)つる誓(ちか)いの不動尊(ふどうそん)迷う心の障り除(のぞ)かん
交通アクセス
真言宗 本蔵院 〒860-0811熊本県熊本市本荘6-15-50
TEL:096-364-4848 / FAX:096-364-9570 / E-mail:info@honzouin.or.jp

