偶然を通して必然がある
仏さまの種まき

偶然を通して必然がある

今回の本藏院を中心とした壮大な企画「百螺祈願」を終え、熊本の皆様と共に少しでも手を合わす時間を持てたならば、それは私にとってかけがえのない事であります。

思えば、京都醍醐寺と加藤神社、阿蘇神社が三位一体となって、この事を実現できたのは奇跡的であったし偶然かもしれません。

しかし、計画を進めて行くうちに、この計画はそこにあったというか、向うの方が私を見つけていたと申しますか、私はそれに導かれるがまま進めていったという感覚がありました。そんな不思議な体験を致しました。

自分が考えたと思っていた事は、すでにもうあった。
仏教では「既有」とか「本有」と申します。
これは非常に大切な概念です。

自分が考える事はたかだか知れています。
むしろ、そこにある事、本来ある事を回復していくという事が本当の姿なのかもしれません。