私が変われば 世界が変わる
仏さまの種まき

何事を学ぶにも基礎学と言うのは非常に大事であります。

仏教を学ぶという事も同じで、仏教を学ぶ上においても基礎学と言うものが非常に重要であります。その基礎学の一つに唯識教学と言うものがあります。

仏教学と言うものは非常にデリケートな学問で、基礎学がないまま普通に読んでしまうと、誤解して受け取ってしまう恐れがあります。ですから、この唯識教学という基礎学を学び、経典の読み方と言うものを会得することは非常に大切なことなのです。

この言葉も一見、「そんなはずはない」と思ってしまうかもしれませんが、唯識教学では「私が死ねば世界も終わる」と考えるのです。

つまり、自分が認識をした世界がすべてであり、世界は私である、と。
独裁と言う意味ではなく、私が世界であり、世界が私であるという捉え方。
私の世界、あなたの世界、彼の世界と言うのが、それぞれに存在しているという事なのです。

あなたの世界と私の世界が同じであるという事はないのです。ですから、真実は一つともいえますが、実はそれぞれの世界に真実は存在するとも言えるのです。
噛みしめて考えてみると、おもしろい教学であります。