仏法聞き難し 今すでに聞く
仏さまの種まき

仏法聞き難し
今すでに聞く

この言葉は、仏教徒であるならばどの宗派であっても必ずお唱えする三帰依文(さんきえもん)の一文であります。
これは、仏の教えを聞く事は非常に得難いが、今私はこうして聞く事が出来る、という意味であります。

どれくらい聞き難いかと言うと、お経の中に「百千万劫(ごう)にも遭遇(あいあ)うこと難(かた)し」 とあります。
「劫」とは単位でありまして、四十里四方の巨石を天女が三年に一度舞い降り羽衣でその石を撫で、ようやくその巨石が無くなる間を劫と言います。
その百千万倍という途方もない時を経て、今私は仏の教えに出会ったということです。

この前文には「人身受け難し 今すでに受く」と書かれています。
仏教では聞法と言って、教え(法)を聞くという事をとても大切にします。
教えを聞く事のできる人間という形をいただき、そしてその教えと出会うこともできた、という奇跡のお話しがそこに記されているわけであります。
今こそ仏法に耳を傾け、百千万劫の奇跡に感謝いたしましょう。