“お知らせ”
- 人間は正義に立つと どんな残酷なこともする
- 仏さまの種まき
先月二月は、お釈迦様の涅槃図を掲げておりました。そこには、弟子たちはもちろんのこと山川草木、生きとし生けるものがお釈迦様の死を痛み悲しんでいる姿が描かれています。深い悲しみではあるけれど、なんとも穏やかで、人生の意味を見出しその求道の人生を終えた安らかな一人の老人の姿があります。人はどこに立脚するかということがとても大切であります。この資本主義社会においては、資本拡大ということが何においても優先され、それが正義とされます。では仏教では、「不安に立つ」ということがあります。人として生まれてきた、その解決をいつも自分の内側から求められています。内なる声です。ひとつの欲求不満というものが人間の根底に流れています。自分の正義に立つんじゃない。正義に立てば、あちらの正義もあるんだ。仏教では未来のことを当来(当に来たるべき)と言います。未来は現在の中に内包されているのです。悪因悪縁、良因良縁。心から世界の平和を願います。
