自分が必ず死ぬことを 忘れるな
仏さまの種まき

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memento・mori(メメント・モリ) これはラテン語で和訳された言葉です。あまり考えたくない究極的問題ですが、仏教の死生観を捉えています。仏教はいつも死に立っています。いつか死が来るのではありません。いつでも臨終に立って生きるということなのです。死を考える場合、存在という問題があります。私は何のために生まれ何をするのだろう、という漠然とした意味を見出したいという欲求は皆様にもあるはずです。私が人間として存在していることは了解できる。しかし、存在している意味を見出しているわけではない。このような問いを繰り返し、同じところを堂々巡りして一向に本質に近づけない、これを流転(るてん)と申します。仏教はどの宗教よりも人間を一番深く洞察した教えでございます。そして、この存在問題から出発しています。生は死に終わるのではない、死から生がはじまる。それが、無常ということであります。